学芸だより

太宰府の中世期の城跡 ―高尾山城跡―

   太宰府市の南東の位置、高雄公園の正面には標高151mの高尾山がそびえています。現在、東側一帯には曲輪や堀切等の城郭遺構が残っており、高尾山城と称される城のものと考えられています。
  天正14(1586)、九州制覇を目指す薩摩の島津氏の軍勢と、四王寺山に築かれた岩屋城を守備する豊後大友氏家臣の高橋紹運の軍勢が衝突した岩屋城の戦いにおいて、島津氏方の秋月氏の陣所であったと伝わっています。それ以前は高橋氏の家臣もしくは肥前の筑紫氏の城とも云われていますが、詳細はわかっていません。しかし城は、北側の岩屋城に対峙する位置にあり、太宰府側への出入口にあたる場所に築かれていることから、岩屋城の攻守・両陣営にとって戦術的に重要な場所の1つであったと考えられています。 
※高尾山には私有地が含まれるため立入りは一部規制されています

学芸員 松村 和