今年3月22日、文部省・文化庁は新国立博物館の設置場所を「九州の太宰府」に決定しました。まさに地元100年の悲願が実ったわけです。九州国立博物館(仮称)基本構想策定委員会での審議結果、この新しい博物館は「国立アジア文明博物館(仮称)」とされ、アジアとの文明交流が館のテーマと考えられています。
九州は地理的にアジアともっとも近い所にあり、アジア諸地域からの文明・文化は、まず九州を窓口としてわが国にもたらされ、わが国の文化の生成に大きな一を占めてきました。このような過去の歴史的意義のみにとどまらず、「21世紀はアジアの時代」といわれている今日、アジアの国々と真の友好関係を結ぶことが肝要とされています。そのためには、まず「アジアを識る」ことです。太宰府市文化ふれあい館は、この秋を「アジアを識る季節」として、甲斐巳八郎・大策親子が70年にわたって描いたアジアの絵を未発表の作品を含めて展示しました。
▲「少年」甲斐巳八郎 ▲「四神」甲斐大策
1950年 紙本着色2曲1隻屏風143.2×180.3 1990年 紙本着色 49.5×99.5
甲斐巳八郎(かいみはちろう)(1903~1979)
1903年、熊本市に生まれる。有田工業学校図案絵画科卒、京都市立専門学校(現京都市立芸術大学)にて福田平八郎に師事。1927年中国雲崗石窟調査隊に参加。1930年満州に渡り、翌年、満州鉄道社員報道部に入社。沿線各地のルポ、風俗、風習の調査を行う。戦後、宗像郡福間町に引き揚げた後もアジアへの想いを絶ち難く、晩年に至るまでインド、パキスタン、アフガニスタン等へ旅を続ける。水墨画の可能性を積極的に探り独自の境地を開いた。没後、福岡市美術館で「現代に生きる新しい水墨画の世界-甲斐巳八郎展」が開催された。
甲斐大策(かいだいさく)
1937年、甲斐巳八郎の長男として旧満州国大連に生まれる。宗像高校卒。早稲田大学第一文学部美術科にて卒業までの9年間安藤更正教授に仏教美術史を学ぶ。国内各地、世界各地を放浪。1967~68年、アフリカ赤道直下を手作りバンジョーとスケッチブックを手に自転車で横断。1968年頃よりアフガニスタンと深い関わりを持ちムスリム(イスラム名アブドゥツラー)となる。絵画ばかりでなく、映画、テレビ、小説、随筆、ルポ、様々な形でアジアを表現している。その個性は中上健次、五木寛之氏らの絶賛を浴びている。
会 期 |
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第1期:平成8年9月14日(土)~10月27日(日)
第2期:平成8年10月30日(水)~12月1日(日) |
展覧会 | ||||||||
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